東京スカパラダイスオーケストラ/JUSTA RECORD関連の作品を手掛けるマッド・ディレクターの暴走コラム。モッドに生きるためには? ルーディーであり続けるためには? そのこたえはここにある。かも?

 僕がJ.B.ルノアーを知ったのは、最初の『BLUE BEAT BOP!』で、山名昇さんによるギャズ・メイオールへのインタビュー中に、今まで買った最も高いレコードは?との問いに対してギャズが「J.B.ルノアーの〈MOJO〉だ」と答えているのを見つけて気になったのがきっかけ。
  鼻にかかったユルーイ歌声とウォーキング・リズムが心地よいジミー・リード。トム・ウェイツやキャプテン・ビーフハートなど、悪声信仰歌手達のマイルストーン、ダミ声こそ優しさ宿るハウリン・ウルフ。チェックの背広に四角いギター、バンドにはマラカス専属人もいるハンボーン・ビートでおなじみボ・ディドリーとか。広汎なブルーズ・ミュージックの歴史の中で、戦後シカゴ・シーンだけ切り取ってもじつにさまざまなスタイルがあって、ブルーズは12小節進行のシンプルさゆえ、じつは幅広いヴェクトルをもった音楽であったことに気付きます。
  その戦後シカゴ・シーンにあってズバ抜けた個性をもちながらも、あまりにズバ抜けたスタイリッシュさのあまりか、フォロワー、チルドレンが生まれなかったのが、J.B.ルノアー。ゼブラ柄のエンビ服に、焦げたたこ焼きに人なつこい目鼻をつけたよな顔だち、gagtianoというメーカー(?)のフルアコースティック・エレキから発される軽いディストーションを含んだシャッフル・リズム、そしてトレイドマークは何つっても、変声期前のチビ君とも間違えられることも多かったであろう、カン高くも楽しげなその歌声! ロッキン・ブギーという(?)ダンサブルなブルースやR&Bを愛するヤツらの中でもJ.B.ルノアーは独特のリスペクトを得ている。つうか、個人的には、あの時分に『BBB!』を通してルノアーを知ってなかったら、今ごろスカパラの制作スタッフなんてつとまってないかも、ぐらいに大事な人。ブルーズ、ひいては、こないだBLUESVILLE3兄弟のドン、鮎川誠さんのご紹介で3人揃って観てきた。ちなみに、鮎川さん56歳、山名さん50歳、僕が最年少で43歳の3人プラス、シーナさんの4人でやってるPUNK ROCK BLUESラジオ番組『BLUESVILLE SHIBUYA』@SHIBUYA-FMはめちゃYOUNGBLOODなヴァイブで4年めに突入中。聞いてね。で、私生活についてはレイジーかつナゾの多い3人が、この時だけはなぜイソイソと試写会場に定刻通り駆け付けたかというと、3人にとっては大フェイヴァリットであるブラインド・ウィリー・ジョンスン、スキップ・ジェイムス、そしてJ.B.ルノアーの3アーティストに絞ったフィルムであるという事前情報を掴んでたから。


  『ソウル・オブ・マン』と題されたそのフィルムの中では、在米北欧人夫妻であるスティーヴ・シーバーグとロンノグの2人がJ.B.ルノアーに魅せられ、この素晴らしさを母国スウェーデンのTVで放映させよう!と素人ながらにまわしたカメラに動くJ.B.ルノアーがバッチリ捉えられてて、もう、それだけで我々3人にはブッとびもんの世界でした。そして、このプロジェクト全体の副読本として上梓された『ザ・ブルース』(白夜書房刊)という本の中で、僕は大事な事柄に気付いたところ。
  ロッキン・ブルーズの父、ルノアーのもう一つの定評といえば、(朝鮮戦争を歌った)「コリアー・ブルーズ」や、「アイゼンハワー・ブルーズ」など、社会派のブルーズマンというもので、僕も、60年代に盛んだった公民権運動のさきがけ的な感性をもった人としてルノアーをとらえてたし、そうしたトピカル・ソングをゼブラ柄の背広と同じく、人気をつかむためのひとつのトピックぐらいにしか思ってなかった。しかし、上述したシーバーグ夫妻のルポ・フィルム撮影時(63年)、同行してフィルムをまわしたカメラマンのピーター・アムフトによる後日談を読んで、僕はまたしてもやられた。撮影の間じゅう、アムフトは努めてルノアーと話をしたようで、その中には、朝鮮戦争で死んだ友人の話になると痛切な表情になり、ルノアーは、こうした体験をもとに「アイゼンハワー・ブルーズ」といった曲を書いた、とある。


 ほんの少し踏み込んだ理解力が、僕には欠けていた。社会的な歌も、セックス自慢のホラ話も、ストリート・ミュージックの世界では、すべて一人称:体験である、というシンプルな事柄を、僕は聞いていなかった。すべてのポピュラー・ミュージックは、人気をつかむためにあると同時に、自分の見たこと思ったことを発露する場である、という最低限の約束事を、僕はこの一連のプロジェクトをとおしたルノアーから、ほおをピシャリと叩かれ、もう一度知らされたんだ。
  ところで、ヴィム・ヴェンダースや鮎川さん、山名さんの世代といえば、ルノアーに注視するきっかけといえば、ジョン・メイオール67年発表の『クルセイド』というLPに収録された「デス・オブ・J.B.ルノアー」という曲を通してだという。で、僕にとってルノアーへの道先案内人は山名さん&ギャズ・メイオール。なのでギャズの息子がブルーズを語りはじめるまでの間、僕はルノアーをみんなに伝えていかなくちゃ、とか、図々しく思ってるところもあります。


写真は、「コリア・ブルーズ」「アイゼンハウワー・ブルーズ」など代表曲を多く収録したアルバム『ナチュラル・マン』(ユニバーサルインターナショナル)。
文中で紹介されている映画『ソウル・オブ・マン』は、現在ヴァージンシネマ六本木ヒルズにて好評上映中。今後、関西方面でも上映の予定があるそうです。ヴィム・ヴェンダースが監督を担当した『ソウル・オブ・マン』は、マーティン・スコセッシ制作総指揮のをつとめ、クリント・イーストウッドら著名映画クリエイターが多く参加したブルーズ・ドキュメンタリー7部作「THE BLUES Movie Project」のなかの1作。その他の作品については、http://www.blues-movie.com/を参照ください。

『BLUESVILLE SHIBUYA』
プレイリストは、http://www.rokkets.com/bluesvilles/をチェック!

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